おはようございます!

いぬい氏です!

昨日は親と久しぶりに会い、携帯を変えたいとのことから機種変更をしに行っていました。

親との間でこんな会話ありませんか?

「ねぇ~おしえて~な~(ちょっとまって2人同時は無理だよ!?)」「なぁ、この機械の初期設定がわからへんねやけど…(だから待ってってや!)」

「あの掃除機がいいかな?この掃除機がいいかな?(いやいや使うの自分ちゃうやん!?」「私も携帯変えよかなぁ~(そこは自由やろ!笑)」

などなど…。いぬい氏よ。とらえ方がよくないなぁと普段の自分なら言ってしまいそうです。

とらえ方で生き方が大きく変わるよ。と言っているけれども、なかなかうまくいきません。

『家族』に対してはどうしてうまくいかないのか?

あなたの中で「他人なら許せるけれど家族なら許せないこと」はありませんか?

いぬい氏は「頼られる」ことに対して普段はあまり抵抗がありませんし、むしろ力になりたいと思っています。しかし、「家族」に対しては「もっとしっかりしてよ!」「いつまでもかかわれるわけじゃないんやから」な~んていう思いがやってきてしまっています。

おそらく「期待」をたくさんしているんだと思います。

親とは「こうあるべきだ」ということに自分自身が縛られてしまっているのだと思います。

親は「しっかりとしているべき」で「子どもから必要最低限の援助」で生きていくものなのではないか?と。

いぬい氏の理想はそうではなく「子どもも親も教師も幸せに」⇒「いじめ0」へ。

そんな形なので、まだまだ勉強が足りないところだと思います。

では「期待」に対してどうすればよいのでしょうか?

本「相手を変える習慣力」の書籍の中では「相手を変えるために自分を変えること」が必要と指摘されています。自分の何を変えることが大切か。

それは「コミュニケーションに使う言葉の中身」だと思います。

「ねぇ~おしえて~な~」に対してどう返しますか?「あの掃除機がいいかな?」に対してどう返しますか?きっといろいろなところで考えてみることができると思いますよ!

それではまた!

投稿者プロフィール

いぬい氏
いぬい氏
小学校・中学校でいじめを受け、自分のことが大嫌いだった。大学受験にも失敗し、希望も持てなかったが、大学での恩師との出会いが自分を変えていった。2015年より教師となり社会科教員として勤めながら「いじめ0」に向けて映画館にて年間50本以上の映画を見、レジェメを発信し続ける。
全ての子どもたちが「安心でき、良さを発見でき、成長を感じられ、サポートする立場になれる」よう共に育ち共に学ぶ共育スペースを創設する目標に向けて日々邁進中。